北摂多田の歴史 (清和源氏と塩川氏の研究)      
北摂多田の歴史
このページの著作権は中西顕三にあり、図画、写真等の無断転用を禁じます。 ご質問等は書籍出版社「風詠社」を通じてお願いします。

menu

多田源氏発祥の地

北摂多田庄の歴史


多田神社(多田院法華三昧寺・多々ノ寺)の由緒
源満仲公出家話


多田院鳴動

剣之巻 髭切・膝丸

藤原仲光と幸寿丸

多田蔵人行綱公
多田氏の研究


これらのページの著作権は中西顕三にあります。写真・論文の無断転用を禁じます。 
topic news 
推薦図書 豊能町の上西書店で購入できます。
 
 多田の懐古写真
 多田大橋竣工渡り初め
銀橋 
池田めんも廊
多田神社源氏祭り 
 
 
 

自己紹介

郷土史家 中西顕三

 専門は農業昆虫学と芝草学、趣味は洋蘭栽培・古文書解読・聖書解読。生家は多田源氏の末裔。かつて心霊に興味を持ち恐ろしい体験をいっぱいしたが、自分は守られていると確信した。心霊の世界は心の世界だった。歴史に関しては全くの門外漢である。郷土史の調査研究を通して過去の人たちの思いを汲み取ることが供養になることが分かった。






 高代寺のご本尊薬師如来は開眼当時は立像であったが、何度も焼け、江戸時代に座像に作り替えられた。 頭部のみが平安時代の作とある。





 喜音禅尼は管領細川澄元の娘・細川晴元の姉であり、塩川伯耆守太郎左衛門国満の正室であったが、側室の讒言により長男塩川右京進頼国は廃嫡になり命を狙われたために多田を出奔し、根来寺に逃げ込んだ。種子ノ方は正室の座を側室に明渡し出家した。しかし、その事情は忘れ去られ、長い間、「塩川伯耆守国満之女」を 娘と解されてきた。それを解明したしたときに喜音禅尼から感謝の念が伝わって来た。







横路大墓で写真に写ったオーブ
大西氏提供





初め


 壁に映り込んだ地縛霊、先祖伝来の家屋敷が売却され、更地になり建売住宅が立ち並んだ。居場所の無くなった先祖霊達は残された壁に集まった。彼らの思いを汲み取ることによって、今は影が薄まった。





copyright©2014 Hokusestu Tada no Rekishi