北摂多田の歴史 (清和源氏と塩川氏の研究)      
北摂多田の歴史
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多田源氏発祥の地

北摂多田庄の歴史


舍羅林山石峰寺
江戸の多田薬師

多田神社(多田院法華三昧寺)の由緒 源満仲公出家

多田院鳴動

多田院南無手踊り
川西市源氏祭り

剣之巻 髭切・膝丸

藤原仲光と幸寿丸

新田ノ城 城主新田五郎家氏は徳川家康の縁者なのか?
橋の杜若と上津兵部

多田蔵人行綱公
多田氏・来田氏


山問氏とその一族
一樋家と夢窓国師
澤渡氏


「高代寺日記」の著者
神保元仲とは


「高代寺日記」解説
清和源氏の系譜

高代寺日記」解説

吉川流塩川氏の家記

藤原塩川氏 満国流塩川氏
仁部塩川氏と六瀬衆
惟仲流塩川氏

吉河塩川氏本家
分家柏梨塩川氏

安村塩川氏

尾張塩川氏
多田小中川流塩川氏

獅子山城と一蔵城

喜音禅尼

尾張塩川氏
塩川伯耆守長満

塩川頼運・頼重・塩川信濃

徳寿院寿々姫と
三法師織田秀信


多田と信長
塩川家との関係


尾張塩川氏
塩川十兵衛満勝・満一

小野お通

河内塩川氏と畠山氏
塩川運想軒

吉川城

信州「塩河牧」
富士宮の塩川氏


多田銀山

多田八景

木田中村の系図

多田牛谷鹿嶋氏

多田中西氏

光遍寺二階堂氏

多田秋庭氏

上津多田氏

摂州多田平野湯

摂州池田氏

波豆河庄
北畠殿源景満・兵庫氏


荒木略記
白井河原の合戦山脇氏・郡氏

能勢氏 東郷能勢氏
倉垣能勢氏・田尻能勢氏


歴史史料の活字化
高代寺記・大昌寺文書・他

北摂観音霊場

北摂の歴史散歩
多田周辺の歴史遺産紹介

北摂の歴史散歩その2

近世百姓の底力
治山・治水

上司小剣と多田郷
藤井鼎左

多田の懐古写真館

近代郷土の著名人
多田村消防史



塩川来国光

多田満仲公 源家之宝刀を鋳る 
宇治の橋姫

渡辺綱鬼の手を斬る 
頼光山蜘蛛退治 
山蜘蛛磔
源頼義前九年ノ役奥州平定
八幡太郎義家後三年ノ役奥州平定
 九郎判官義経平家追討
 

プロフィール

洗礼名 樹寿人

 趣味は古文書解読、聖書解読。ライフワークは精神世界の探求。若い頃に心霊に興味を持ち恐ろしい体験をいっぱいした。心霊の世界は心の世界だった。郷土史の調査探求を通して昔の人と交流するのが目的である。思いを汲み取ることによって思いもよらない力をあたえて貰えることがわかった。私の周りに不思議なことが一杯起きる。受洗すると益々悪魔の誘惑が厳しくなり、負けそうになる。
 嘗て日本に悪魔サタンはいなかった。鬼や怨霊がいた。やがて日本にキリスト教が伝来したとき、悪魔サタンも日本にやってきた。信長や秀吉は悪魔サタンによって操られた。江戸時代になって禁教令が出ると悪魔は姿を消し、長い平和が続いたが、明治時代になって再びキリスト教が日本に入ってくると、再び悪魔サタンは日本の軍部を操った。


高代寺御本尊薬師瑠璃光如来


 高代寺のご本尊薬師瑠璃光如来は開眼当時立像であったが何度も焼け江戸時代に座像に作り替えられた。頭部のみが平安時代の作という。


喜音禅尼


 喜音禅尼は管領細川澄元の娘・細川晴元の姉であり、塩川伯耆守太郎左衛門尉国満の正室であったが、側室の讒言により長男塩川右京進頼国は廃嫡になり命を狙われたために多田を出奔し根来寺に逃げ込んだ。種子ノ方は正室の座を側室に明渡し出家した。しかし、その事情は忘れ去られ、長い間、過去帳に「塩川伯耆守国満之女」とあるのを 娘と解されてきた。一年以上「喜音禅尼はいったい誰だろう」とを考えていた時、突然、喜音禅尼は塩川太郎左衛門尉国満の正室種子ノ方だと直感したのである。「そうだったのか」とつぶやくと、喜音禅尼から「ありがとう」と感謝の言葉が伝わって来たのである。「オカルトめいた作り話だ」と思う人が大半だろうが、実際に起こったことである。


横路大墓で写真に写ったオーブ



大西氏提供


壁に映り込んだ地縛霊
初め



 先祖伝来の家屋敷が売却され更地になり建売住宅が立ち並んだ。居場所の無くなった先祖霊達は残された壁に集まった。彼らの思いを汲み取ることによって今は影が薄まった。

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中川清秀公・本陣






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