大昌寺・曹洞宗塩川氏所縁の寺
もくじ 大昌寺塩川氏墓地 大昌寺釈迦涅槃図 |
大昌寺塩川氏墓地
傳塩川伯耆守国満夫妻の墓
「大昌寺」は塩川信濃守秀仲公・「大昌寺殿前伯州太守義山了忠大居士・寛正2年辛巳3月15日没」開基の曹洞宗の古刹です。本堂裏山に一石五輪塔が二基立派な石祠に祀られている。塩川国満夫妻の墓と言っている。
刻銘には「元和四年・・・月巌宗圓・・九月十六日」「寛永・・・・・清月妙・・・七月・・・」とある。
江戸時代塩川一党国満の墓と信じ、幕末の有名画家四條派塩川文麟もその画像に「裔孫塩川文麟薫木欽写」と署して納めてある。
塩川氏関係略系図 (大昌寺系) 吉河塩川氏 塩川伯耆守仲章ー仲常ー伯耆守秀仲ー源治仲弘・・・孫三郎仲朝ー山城守仲延ー橘太夫頼方 民部丞頼敦 半右衛門仲宗 |
【考察】 塩川伯耆守国満が獅子山に築城する前に、既に塩川仲延の屋敷である山城丸と頼敦の屋敷である民部丸があった。山城丸と民部丸は塩川伯耆守仲章公の城跡と思われる。現代の大昌寺は塩川氏滅亡後に今の場所に建てられたと考えられ、この大昌寺塩川氏墓地の主は半右衛門仲宗夫妻の墓では 無いかと推測している。その根拠として、「月巌宗圓」は名前に「宗」がつく人。半右衛門仲宗の父である山城守仲延は大昌寺に葬られ、戒名は「法嶽仲圓」で「圓」が共通している。
塩川氏一族の戒名 塩川伯耆守秀仲( 〜1461) 寛正2年3月15日 大昌寺殿義山了忠大居士 不詳 ( 〜1497) 正河院殿前中書賀山道慶大居士 享禄3年(1530) 33回忌 塩川伯耆守秀満(1428〜1500) 明応9年5月14日 71歳 月山昌光大居士 塩川伯耆守種満(1464〜1540) 天文9年5月3日 76歳 宗琳 塩川伯耆守国満(1500〜1576) 天正4年12月14日 76 歳 桃源院殿天岑祥光大居士 塩川伯耆守長満(1538〜1586) 天正14年10月5日 49 歳 永祥院殿輝山源光大居士 塩川運想軒(1535〜1614) 慶長19年2月15日 80歳 塩川源兵衛尉宗英( 〜1549)天文18年3月15日58歳 春華宗慶 塩川孫太夫頼宗(1517〜1569)永禄12年 雲光院春嶽宗永大居士 塩川加賀入道正吉(1447〜1513)永正10年8月5日67歳 塩川孫三郎仲朝( 〜1524) 大永4年正月16日 塩川山城守仲延(1523〜1574) 天正2年5月13日卒70歳 法嶽仲圓居士 大昌寺ニ葬ル 塩川民部丞頼敦(1522〜 ) 大昌寺塩川氏( 〜1618 ) 元和4年9月16日 月巌宗圓 塩川中書頼一(1556〜1623) 元和9年8月27日 道雲 塩川基満(1600〜1656) 承応3年8月15日 55 歳 勝光院賁山圓慶大居士 塩川寿々姫( 〜1633 ) 徳寿院殿繁林恵昌大姉 喜音寺開基首座( 〜1549 ) 天文18年7月2 日 微明院殿嶽室理高尼和尚 塩川源次郎頼重( ) 單堤院本室宗源居士 |
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