ワラル事件 1991.7.12 Huaral  Peru
 JICA ペルー 「ワラル事件 1991.7.12 Huaral  Peru」 

故・中西 浩氏を偲ぶ
ワラル野菜研究センター 

ワラル事件
 
  1991年7月12日 ペルーの郊外ワラルにある、日本のODAの支援で建設され、JICAから野菜栽培技術の専門家が派遣されていた「野菜栽培研

究センター」をゲリラが襲撃し、三人の日本人技術者を殺害した。これは当時のフジモリ政権にゆさぶりをかける犯行であった。事件は「センデロ・ル

ミノソ」の犯行とされて、13人の犯人たちは全員捕らえられ収監されたが、現在は、主犯格の四人を除いて、全員刑期を終えて出獄している。主犯格

の三人も懲役25年から35年で、数年後には全員出獄する。

しかし、消息筋では、「センデロ・ルミノソ」犯人説は当時のペルー政府のでっち上げで、実は反フジモリ派の政府高官が真犯人で、実行犯は政府要

人のボディガードだという説もある。ペルーはカトリックの国で、死刑はなく、民族和解から、刑期も短く設定されており、凶悪犯は逮捕時に射殺され

ることが多い。

 新聞では「日本人処刑」とか「日本人射殺」と書かれているが、実際はそんな生易しいものではなかった。中西氏の遺体は頭蓋骨が陥没して、小鼻

が両方とも裂けていた。そして、死因は頭から顎にかけての貫通銃創である。散々に暴力を受けて痛めつけられて、気を失って倒れたところを銃で

頭を撃たれて、とどめを刺されたのである。それでも遺体の説明では 「中西氏の遺体は、抵抗していないので(遺体は)比較的綺麗だ」 という説明だ

った。
 



問題点はだな、ジャイカが事件の真相を解明せずに、隠していることだ。遺族にも事件のてんまつを全く説明していない。
事件を風化させて御仕舞にしようとしている。要はパンドラの箱を開けたくないのだ。


ペルー政府もセンデロに罪を擦り付けて、責任逃れをしているヨナ。三人がかわいそうだョ。


 


「志雄塾」生達による
追悼文集




オリジナルクッキー

彼の好きだった
豆・たこ焼き・スイカ

ワラル事件の被害者 故・中西氏の生い立ち

 故・中西氏は昭和26年9月29日に兵庫県で出生した。 二歳の時に父母が離婚して、父

は一年後に再婚し弟が生まれた。彼は祖母の手で育てられた。幼かった彼は祖母と一

緒に寝て、祖母が母代わりだった。小学生の頃、彼は祖母に尋ねた「ぼく、だれに生ん

でもろたん」。祖母は困った顔で「おかあちゃん(義母)やないか」と言ってごまかしたが、

唯 「ふーん」とだけ答え、それ以上祖母を困らせたくなかったので深くは聞かなかった。

 小学1 , 2 年生の時に、一度だけ夜になっても家に帰らなかったときがあった。祖母だ

けが近所を探し回ったが、父も義母も祖父も探さなかった。子供心に家族の愛を試した

のだった。やはり自分には祖母しかいないと感じた。

* 9月29日は聖ミカエルの祝日だが、日本では苦の月の二重苦の日と忌み嫌われている。

 中学生になるとテニス部に入り、スポーツに明け暮れた。義母は弟にべったりで、一度

だけ彼は義母に「貴方は俺の何なんや、女中みたいなことをしてるが・・・」と言ったこと

がある。言われた義母は何の反応も示さず、それからは僕には祖母がいれば充分だと

思うようになり、もう実母のことには関心がないそぶりだった。当然、父にも実母のことを

尋ねることもなかった。

 高校へ入学してもテニスに打ち込んで県大会にも出場した。テニス部全員が体力と精

神力を鍛えるために、自転車通学ときめて、ドシャ降りの雨の日でも、4キロ余りの道を

三年間自転車で通学した。 


中学生の頃

  大学は東京農大拓殖学科に入った。宿舎は大学付属の農場に「志雄塾」という寮が

あり、そこで模擬海外移住の実践を体験した。宿舎は自分たちで家畜小屋を改築した粗

末な建物だった。農場では農作物と家畜を育てて、それらを食料としていた。ある日、自

分たちが可愛がっていた子牛をとして食べようということになった。可愛そうだと言ってい

たのでは、海外では生きていけない。皆は涙を呑んで子牛を屠して肉にした。そして、畑

の野菜をいれてすき焼きにしたが、食べる段になると皆で肉を取り合って食った。普段

肉を食べることはあまりなかった。彼は子供の時から肉や魚はあまり食べなれていなか

ったので、むしろ肉や魚は苦手だった。主に家で産する芋や豆で育った。子供の頃はカ

レーライスの中の肉の欠片も食べなかったのに、肉でも魚でも何でも食べるようになった

のは大学生になってからである。こんなわけで東京での生活費は、あまり親に負担をか

けなかった。黙々と働く父を尊敬していたが、実母について何も説明してくれない父とは

あまり口をきかなかった。

 盆と正月には祖母に合うために帰省した。帰省はいつも東京・大阪間をヒッチハイクで

往復した。早朝東京を出ても、家に着くのは真夜中で、家の鍵が閉まっている。朝まで物

置で過ごして、朝にひょこっと顔を見せて家族を驚かせたが、家族の者はそのわけを聞

こうとしなかった。帰りには、父親が旅費と小遣いやと言って、ポケットに札をねじ込むが

決して受け取らなかった。


農園でサツマイモの収穫


友人たちと

  大学を卒業すると、久留米の農業試験場で一年間研修した。久留米では老婆と老娘

2人が住む家に寄宿した。彼は2人に大変可愛がられて、研修を終えて帰る時には、二

人の母娘から、このまま婿養子になつてあとを継いで欲しいと懇願された。その後、彼は

海外青年協力隊に入り、アフリカのケニヤに赴任した。


久留米の下宿の前で

ケニヤではウンダニで活動した。始めは中々現地の人に受け入れてもらえず苦労した。

頑張って野菜栽培を続けた。その内、村人の相談にものるようになり、村の父親が出稼

ぎに出て蒸発してしまった母子家庭の面倒もみていた。村の子供達には日本の家族か

ら贈られてきた古着を着せた。
 
ある時、マラリアに罹って高熱がでた。動けないのを無理して、首都ナイロビの病院まで

おんぼろバイクで行った。途中でいつ故障するかわからない。ガソリンタンクは紐で結わ

えてある。何とか病院まで行き着き入院して回復することができた。帰りにはとうとうおん

ぼろバイクのガソリンタンクが壊れて乗れなくなったので、ヒッチハイクと徒歩でウンダニ

まで帰り着いた。
 
ケニヤでは髭をそる暇もなく、仲間たちから「ウンダニの仙人」と呼ばれて、二期六年を

過ごした。

赴任当初は髭を剃っていた。

                  パラグアイへ家族で赴任

ケニヤで二期六年過ごして帰国し、今度は帯広の十勝農業試験場で大豆の育種の研

修をし、一年後には再び海外青年協力隊でパラグアイに赴任した。その時、十勝農業試

験場で知り合った女性と結婚した。
 
結婚を機会に一度別れた母親に会おうと考えて、探して会った。実母は再婚して子供も

いた。「今は幸せに暮らしているのでそっとしておいて欲しい」と言われ、ガッカリして帰っ

てきた。実母に愛を感じることもなかったが、折々に文通をしていた。

パラクアイには夫婦で赴任し、首都アスンシオンに住み、長女が生まれた。長女には祖

母と同じ名前を付けた。宝物のように可愛がった。子煩悩だった。日系人たちとも交流し

た。スペイン語も堪能だった。

一期目を終えて帰国した時に長男が生まれた。そして、二期目もパラグアイに赴任して、

アルゼンチンやペルーのマチュピチュに家族旅行もした。


大事な宝物だった

 
クスコにて                大好きなおばあちゃんと

 






                      
                      ペルーへ赴任

二期目の青年海外協力隊の任期を終えて帰郷して、JICAの農業専門家の受験準備を

した。その時には愛する祖母は死の床についていた。受験準備をしながら祖母の看病を

した。二回目の専門家試験にようやく合格した。そして、祖母の野辺の送りを済まして上

京した。千葉にローンで自宅を購入し、JICA国総研に籍を置き、ブラジルやインドネシア

へ調査旅行に行った。

 そうこうしている内に赴任先が決まった。ペルーである。四月にペルーのワラルに下見

に出かけた。当時ペルーは治安が悪く伝染病も流行して、不安もあったが行くしかない。

「海外支援」は彼の天職でもあった。天職とは「神から与えられた仕事」である。

三か月後の七月に家族四人で赴任した。出かけるときに二歳の長男は「行きたくないと

大泣きした」という。虫の知らせだったのだろうか。十日後の、1991年7月12日の早朝、

センターに出勤すると、センターは既にゲリラに占領されていた。ペルー人の所長は殺

すと脅されて、三人のJICA専門家を何食わぬ顔で招き入れ、三人はゲリラたちに捕まっ

た。

現地の職員たちは全員釈放されて現場から逃げ去った。三人は事務所前に立たされて

さんざん暴行を受け気絶したところを射殺された。

現地報道によると、ゲリラたちは初めにJICAが同時に進めていたチャンカイ・ワラル灌

漑復旧工事(大成建設と内外エンジニアリング)の事務所を襲撃したが、日本人技術者

がいなかったので、次に野菜センターを襲撃したという。ワラルでの野菜栽培は灌漑設

備 の充実と野菜の栽培技術の確立、両方が計画的に進められていた。

しかし、消息筋によると日本のゼネコンはゲリラに身代金を払い、ゲリラたちが野菜セン

ターに向かったことを知っていながら、ワラルから一目散に逃げ去った、と言う話もある。

愛する妻と四歳の長女と二歳の長男を残して旅だった。しかも愛する妻は身ごもってい

た。愛する家族を残して死んでいかなければならなかった。彼の命を奪った連中は、たと

えどんなイデオロギーをもっていたとしても、彼らはサタンの操り人形である。 ペルーで

は裁判で判決が降りて収監されて、決着がついているというが、日本の遺族は決して納

得していない。



 

  


  



ペルーのために協力したいという人物をなぜ殺す必要があったのか?





 中西君は本当にバカがつくほど真面目な奴だネ。二歳でお母さんとも生き別れて、苦労して、努力して自分の人生を切り開き、これからというときに殺された。こんな真面目な人間を殺す奴らはどーせろくな死に方はしないゼ。地獄行きだ。ペルー政府も最低だが、ペルーの国民もかわいそうだネ。ペルー人はみんなキリスト教を信じているらしいが、きっとイエス様はお前らのこと知らねーと云うだろうナア。





センデロ・ルミノソの犯行としているが・・・?真犯人は・・・?
ペルーは全く理解できない国だ。


布がかけられた三人の遺体


犯人とされるセンデロ・ルミノソのメンバー           刑期
フェリペ・テノリオ・バルバラン 主犯 残り10年
ファン・アルベルト・ビリャヌエバ・エスピノサ 主犯 今年出獄
ダニエル・アンヘル・ラミレス・マルテル 主犯 今年出獄
エロイ・ネルソン・ラミレス・ファレロ 主犯 今年出獄
マリア・ヴィクトリア・ファハルド・クアドロス 実行犯 すでに出獄
ペドロ・ドミンゲス・カント 実行犯 すでに出獄
プラシド・バルディアル・アルバ 実行犯 すでに出獄
セサル・セルバンテス・エスピノサ 実行犯 すでに出獄
ペドロ・アルモンディ・エスパダ・アルファロ 実行犯 すでに出獄
アンヘル・カチャス・コラス 実行犯 すでに出獄
エディルベルト・フェルナンデス・ヒロン 実行犯 すでに出獄
ベルナルド・ラオス・バレンシア 実行犯 すでに出獄
エウドシオ・ガルシア・マサ 実行犯 すでに出獄


苦しくともサタンに魂を売るな

 地球上の人間には貧富の差がある。どの家庭に生まれるかは自分で決めたは

ずだ。生まれた家庭が大金持ちだから幸せだとは限らないし、又、貧乏だから不

幸だとは限らない。生まれてくる時に、使命を果たして御国に帰ってくると神様と約

束したはずだ。たとえ人生に不満があっても、今の境遇が自分の選んだものであ

ることを忘れてはならない。あなたは一人で苦しんでいるのではない。いつも聖霊

と共にいることを忘れないでほしい。




1995 HUARAL PERU での慰霊祭

「慰霊祭とは神鎮めのこと、怒れる怨念を鎮める行為」
参加する人の心に愛がければ慰霊祭の意味をなさない。
形だけの慰霊祭では怒れる霊は鎮まらない。


慰霊碑


事件現場


青木盛久全権大使


参列者


研究棟には中西氏の名前が冠された。


中西浩研究棟内部


中西浩研究棟群


パラグアイでも中西氏の記念碑が建てられた



在ペルー日本大使公邸人質事件

1996年12月17日から1997年4月22日にかけて反政府ゲリラ組織ツパクアマルによって公

邸が占拠された。1995年7月の慰霊祭の翌年のことである。青木大使ら、天皇誕生日の

祝賀パーティに招かれていた約600人が人質となった。フジモリ大統領の指揮のもと、軍

隊が突入して、ゲリラ13人は全員射殺された。

 

 センデロ・ルミノソは毛沢東の共産主義を掲げているが、ツパクアマルはチエ・ゲバラの

共産主義を支持し、お互い対立している。

 ツパクアマルとはインカの最後の皇帝で、「ホセガブリエル・コンドルカンキ」をさしてい

る。ペルー独立の父とされ、スペインの植民地支配に抵抗して立ち上がり、捕えられて

生きたまま四方に馬で引かれて八つ裂きにされて亡くなったという。


ホセガブリエル・コンドルカンキ
José Gabriel Condorcanqui Noguera


「コンドルは飛んでいく・ El Condor Pasa」
コンドルカンキを讃えるオペレッタの序曲のである。



2002年には粗末な新しい記念碑が事件現場に建てられた。

新しく作られた形ばかりの小さい粗末な記念碑


遺族抜きで行われている形ばかりの慰霊祭、みんな、まるで他人事だ。


慰霊祭に形式的に参加した両国の政府要人たち、誰も涙を流していない。


インカ学院でも学生や日系人達によってパフォーマンスが行われた。




 ペルーでは毎年慰霊祭を行っているらしいが、遺族にも声をかけて招待してやれよ。それができないのなら、東京のジャイカ本部でも毎年慰霊祭をやってやれヨ。日航のジャンボ機墜落事件や終戦記念日では毎年遺族を呼んでいまだに手厚く介抱しているじゃないか。三人の遺族がかわいそうだ。

  



ワラル事件の真実
FACEBOOKの書き込みから
「世界の半分を旅して」

 【ワラル事件の真相】    ある facebook の書き込み

 
琉球大学時代の友人・金良清文が、ペルーで銃弾に倒れてから早23年の

月日が流れました。事件は、1991年7月12日首都リマ北方80kmのワ

ラルにある、ODAで建設された「野菜生産技術センター」で発生、センデ

ロ・ルミノソと名乗るゲリラ13人が襲撃し、3人のJICAの農業専門家

を殺害したと報道されました。しかし今回思いも掛けず、ガイドとの話で、

その真相を知る事となりました。「実行犯3人の内ひとりは私の友人でした

。怒らないで聞いて下さいね」

「私はペルー三世の日系人。日系人が多く住むワラルで生まれ、彼は小学校

の同級生。日系人ではありませんが、日系人、日本人の事は良く理解してい

たはずです。そんな彼がどうして?と思われるかも知れませんが、彼も被害

者なんです」
「彼は優秀なガードマンで、政府要人のSPまで上りつめまし

た。当時はフジモリ政権。フジモリ大統領は辣腕をふるい、旧体制の打破に

取り組んでいました。それに反発した旧勢力の要人達が、フジモリ政権に打

撃を加えるために、あの事件を起こしました。その実行犯として白羽の矢が

立ったのが、SPを勤めていた友人でした。彼は要人からの依頼を一度断っ

たのですが、家に帰ると、銃を突きつけられ椅子に縛られた妻と子どもを人

質に、実行犯になる事を強要され、やむなく依頼を受け入れたそうです。現

場では3名が銃撃を行うことになり、最初に銃撃を強いられたのは彼でした

。銃撃をためらった彼は、被害者を殴打し、足に銃弾を撃ち、殺したと見せ

かけて難を逃れさせようとしたのですが、後方から他のふたりの実行犯が銃

の引き金を引き、被害者3名は銃弾に倒れたといいます。翌日彼は警察に自

ら出頭し、今でも刑務所に収監されています」これが日系人の間で知られて

いる真実だそうです。事件はテロリストのセンデロ・ルミノッソの仕業だと

して、裁判は結審しています。犯人たちは収監され、家族に危害が及ぶため

、今後も真実が公になる事はないでしょう。実際は反政府の要人の起こした

事件にも関わらず、テロリストに責任を負わせ、巨悪は今も眠り続けていま

す。(世界の半分を旅して)



 犯人たちは人間の裁きより神の裁きの方が数万倍厳しいことを知る事になるだ

ろう。また、
悔い改めても決して赦されることはないだろう。


 
このような写真に魅せられて安易にペルーに出かけない方が良い。まさか自分が殺さ

れるとは誰も思わないだろう。ペルーでは殺人と強盗は日常茶飯事である。お金を持っ

ている観光客は標的にされる。

 


 ペールーでは2016年に大統領選挙が行われた。有力候補だった KEIKO FJIMORI 氏

は敗れた、現在殺人罪で収監されているフジモリ元大統領を救い出すための立候補だ

ったとみられる。現地の日系人たちは何が起こるかもわからないとケイコ氏の立候補に

反対していた。センデロ・ルミノソを支持する政党も候補者を立てていたらしい。

センデロもジャングルで活動を開始しているらしく、収監されている幹部たちも数年後に

刑期満了で出獄するという。これからペルーは大変なことになりそうだ。

 
ペルーの大統領選挙は人気投票だと言われている

ケイコ・フジモリ氏とフジモリ元大統領(以前の面影はない)


今でもジャングルで戦闘訓練をしているセンデロ・ルミノソの戦闘部隊



「今は神の国にいる」
 
クスコの聖ミカエル

 
 神の御心にそって人々に尽くしている人々(霊)が御国に集められて一億人に達し

たときに世の終わりが来て、火と洪水で世の人々は滅び、一億人の聖なる霊たち

は新しい地球のような惑星へと誘われる。世の終わりの時には悪魔サタンは滅ぼ

されるのが分かっているから、今サタンはやっきになって人々の心を洗脳して、神

を冒涜して罪を犯させ、サタンの世界を構築しようとしている。悔い改めない人と霊

は滅ぶ地球に置いて行かれる。生きているうちに悔い改めないと、死後はもっと厳

しく悔い改めても許されない地獄に放り込まれるだろう。

 三人のような無償の愛が自分自身を救う。見習うことだ。

 「この書の預言の言葉を封じてはならない。時が近づいているからである。不義な

者はさらに不義を行い、汚れた者はさらに汚れたことを行い、義なるものはさらに

義を行い、聖なるものはさらに聖なることを行うままにさせよ」(ヨハネの黙示録)

 彼の死後、天使が現れて預言があった。さらに彼自身も「今は神の国にいる」と

霊界通信で伝えてきた。サタンとその協力者はいずれ滅んでゆく。三人は既に一

億人の仲間入りしているので、何の心配もない。心配なのはこれを読んでいる貴

方だ。はたして一億人の仲間入りができるだろうか。




殺人犯たちへ

 俺はとっくにこっちにきてるが、落語家の俺にも言葉では言い表せないような楽しいところだゼ。そちらで、いつまでバカなことばっかりやってるんだ。死んで怖ーい閻魔様の前に出たら、もうどんなでたらめも嘘も通じないんだヨ。心の中まで見通されてしまって、地獄の鬼に怖ーいところへ連れていかれて、昼夜なく苦しめられて、辛くていっそのこと殺してくれーと言っても、もう死んでいるのだからどうしようもない。

 そのうち、助けが来て、助かったーと思うだろうが、次にお前さんは瓶詰にされて、ドロドロの溶岩の中にほうり込まれて溶けてしまうのさ。そうなると、もう誰とも会えねー。煙のように蒸発して消えてしまうのさ。


生きてる内に「すみませんでしたー」と遺族と神様に、はやくあやまることだねー。それ以外に助かる道はないよ。Wuhihihihihi・・

 








LINK

世界の半分を旅して
ワラル事件の真実





衆議院会議録情報
第120回国会外務委員会


JICA研究所
ペルー国別援助報告書



『テロ!ペルー派遣
農業技術者殺害事件』



ニッケイ新聞
日系第三国専門家派遣事業


ニッケイ新聞
ワラルを訪ねて



外務省ODAとは?
ペルーに生きる日本の農業技術



☆秘露備忘録☆


センデロ・ルミノソ
公安調査庁



ペルーの人権問題と
フジモリ大統領の責任を
考える会



在ペルー日本大使公邸
占拠事件



JICAケニヤ
ウンダニ活動報告



朝日の基地外投稿 第11面
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