大昌寺・曹洞宗鶴林山大昌禅寺塩川氏所縁の寺

塩川氏墓地と涅槃図 「大昌寺梵鐘と観音様   北摂多田の歴史

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2015年5月17日(日)
大昌寺観音祭り


 
大昌寺解説書が出来上がりました。(限定品)
 
観音石仏めぐりの案内書も出来上がりました。
 
涅槃図の解説書(昨年2月に発行済み)



塩川氏と大昌寺の縁起


大昌寺文書【塩川家 木田家 大昌寺 略歴】

塩川家ノ祖先ハ源頼光ノ嫡子頼仲数代後吉川越後守文和元年(一三五二年・正平七年)四月拾六日辰山へ来城シ、其後三拾三年ノ後山下城ト改メ、塩川伯耆守ト改ム、二百三拾五年、天正拾四年十月七日、国乱ノタメ落城、其ノ間凡六百六拾年、落城後九拾九年目ノ貞貮年丑(一六八五年将軍綱吉)ノ拾壱月、塩川頼元(国満-長満-頼一-基満-頼元)殿ヨリ平野御寶殿ノ祈願書ト塩川家系図トヲ持来リ、安村五郎衛門家ヘ預ケ置カレタリ、菩提所ハ徳倉領大王山薬師寺トサレタリ、→徳倉領天王山薬師寺の場所は不明

木田家ノ祖先ハ安村勘十郎ト申シ、吉川越後守ノ家老職ニテ、文和元年、辰山ヘ来城ト同時ニ當地に来リ、今ノ立川ノ地ヲ開墾シテ其ノ名ヲ立川(たてこ)ト称ス、三町有余ノ地ハ全部公部地ナリ、其ノ一部ヲ分譲シテ、同家ノ屋敷ヲ設ケタルナリ、其処ヨリ城内之奉仕ヲシタリシニ、落城後農家トナリ、安村勘十郎ヲ安村五郎兵衛門ト改名セリ、現今音吉ノ家一戸アリ、其ノ家ハ五兵衛ト申ス者ナリシガ、寄リ株トシテ今ニ親戚トシテ交際シ居レリ、大道ヨリ西ニハ二百五十年経タル家屋ハ二軒ノミニテ寺一ヶ寺ナリ、元禄初年ニ伊勢大神宮大夫木田新左衛門殿常宿トセラレ其ノ縁故ニ依リ、同姓セニヨトノ事ニ依リ、木田弥市兵衛と改名ス、

大昌寺ノ歴史ヲ申サバ安村家ニテ成立シタルモノナリ、越中立川龍象寺ノ弟子ニシテ、兄ハ池田ノ大廣寺ノ住職トナリ、弟ハ安村家ヘ寄寓シ、安村之レヲ援助シテ、拾ヶ村ヲ廻り皈依者ヲ得、安村宅ノ西小高キ所ヲ切開キ、一ヶ寺ヲ建立シ、之レヲ鶴林山大昌寺ト名ヅケ、寶徳二年(1450年)入佛成リ、本寺ハ遠隔ナルニヨリ、大廣寺ト相互ノ本寺ト約束シアリシモ、其後大廣寺ハ総持寺ノ直末トナル由申シ来タリ、大昌寺ハ大廣寺ノ客末トナレリ、今ニ大廣寺ヘ行ケバ別室ノ待遇ヲ受ケ、又大昌寺ヘ来山セバ別格ノ待遇ヲナセリ、猶慣例トシテ大昌寺住職ハ正月年始盆ノ棚経ノ際ニハ出立チヲ安村家ニテ饗ケ、其レヨリ各檀家ヲ廻レリ、現今モ棚経ノ出立チ饗応ハ木田氏之レヲ継続シツゝアリ、 文禄三年古検地ニ屋敷ハ壱反四畝九歩、北南六拾壱間、巾四尺八寸ノ地所西ト東ニアリ、延宝七年新検地ニハ屋敷壱反四畝九歩、田八畝九歩、畑七畝十二歩ト続ニ畑二畝七歩トアリ、是レハ高附除地ニテ明治三年取上ゲニ成リ、其後父弥市兵衛村用ニテ県庁ヘ行キ払下洩レニ付キ金拾弐円也ニテ買ヒクレトノ事にて買受ケ皈リテ第廿五世宣道方丈ノ浄財ニテ買ハセタルモノナリ、


大昌寺の由来と塩川氏

 

塩川氏は藤原仲光の嗣子塩川満任から始まり、六代ノ後、塩川満親の娘が大内惟義の側室となりその子惟親(蓮阿)が嗣子となったが、承久の乱で惟親と満国は失脚し、塩川惟仲家が鎌倉時代には多田院御家人筆頭格となった。しかし、又九郎師仲は四条畷の戦い(1348年・高師直と楠正行の合戦)に多田院御家人らを率いて出陣したが討死してしまった。その頃、吉川越後守仲頼と家老安村氏が文和元年(1352)4月、越中国立川から辰山へ来城し、33年の後、塩川伯耆守仲章が足利尊氏から多田庄地頭職に任じられ、旧山下城を築城し、塩川氏の名跡を継ぎ、安村氏は現在の立川(たてこ)に屋敷を構えた。数十年後、越中国「立川寺」(現・立山寺・りゅうせん寺)の大徹宗令禅師の弟子である二人の龍象(高僧)兄弟がやってきて、兄の天巌宗越禅師は池田大廣寺を開山し、弟の良專禅師は安村家ヘ寄寓し、安村氏は屋敷の西の小高い所に寺を建立し、鶴林山大昌寺と名づけ、良專禅師を初代住職とした。そして寶徳2(1450) 大昌寺は塩川伯耆守秀仲公(仲章の孫)開基として、塩川家・安村家の菩提寺となった。一方、「塩川氏系図」では秀仲公の弟とされる慶秀が塩川氏の継嗣となっている。慶秀は明らかに法号であり、慶秀は「中川氏系図」にある多田太郎秀重の子塩川伯耆守孫太郎重房であると推測される。「多田院文書」によれば、享徳元年の前年(1451)「多田ノ乱」があったとされ、これは塩川氏の本家争いであろうと推測される。慶秀の子塩川秀満公(昌慶14291500)は連歌に秀で管領細川政元に仕え、その子種満公(宗琳14641540)は池田民部丞綱正の娘を室として、細川高国・細川澄元に仕えた。秀満公の孫伯耆守国満公(祥光15001576)は細川澄元の娘(晴元姉)を正室、伊丹兵庫介親永の娘を継室として、細川晴元・織田信長に仕えて、天文11(1542)には仲章の古城(獅子山)に現在の山下城を築城した。昌慶公と宗琳公は旧善源寺(平野上津)に葬られたと考えられる。平野上津には源氏累代の屋敷と多田越中守春正の居城上津城や善源寺を始め多くの寺院群があったが、伊丹親興(一説には荒木村重)に攻められて上津城は落城し荒廃したので、国満公は元亀2年(1571)に善源寺を平野上津から笹部に再建し、天正4年(1576) 77歳で没して同寺に葬られた。天正2年(1574)塩川仲延は70歳で没して大昌寺に葬られたとあり、塩川秀仲家と安村家が大昌寺を菩提寺としたのに対して、塩川秀満家が塩川本家となり源氏累代の善源寺を菩提所とした。織田信長は尾張塩川氏である塩川吉太夫頼運・勘十郎頼重兄弟を塩川長満公の家老として送り込み塩川氏を支配した。多田院御家人等は信長の調略に大いに反発し荒木村重に味方した。塩川仲延・頼敦兄弟も塩川家の家老となり、山下城の一角には山城守仲延の屋敷である山城丸と民部丞頼敦の民部丸があった。塩川伯耆守国満の長男運想軒は廃嫡され、次男の伊丹親永の娘を母とする塩川伯耆守長満公(15381586)が嫡男となり、将軍足利義輝の娘を正室として信長に仕えたが、天正10(1582)信長が本能寺で滅亡すると、信長の庇護を失い、天正14(1586)10月、豊臣秀吉に攻め滅ぼされ笹部善源寺で自害し同寺に葬られた。この頃、六瀬に住していた間部塩川氏である塩川吉太夫国満・吉太夫昌次父子も塩川伯耆守国満公・長満公に臣従していた。天正10年「山崎の合戦」には塩川伯耆守国満を名乗り豊臣方として出陣したが、天正14年、同様に秀吉に攻められ滅亡した。塩川氏滅亡によって大昌寺も荒廃したが、寛永の始めに積翁禅師によって中興された。(中西顕三)




富山県「立山寺」住職の見解  當寺は当初霊峰立山(タテヤマ)の開山縁起にまつわり「立山」と書いて「リュウセン」と読みます。開創当時は「立山」で戦国時代佐々成政によって「立川寺」[リュウセンジ]と改称 明治32年に當寺32世が318年振りに以前の「立山」に改称されたようです。「龍象寺」というのはありません。「立川」の地名も県内では他にありません。小さい集落での地名はわかりませんが。「龍象」というのは出家の高僧・優れた人物の尊称でもあります。わが教団の儀式において 洞門の龍象=曹洞宗傘下の優れた皆様 とか 四来の龍象=各地からおいでの高徳なる皆様 と称んだりしておりますので だから単純に私は越中の優れた立川寺の弟子・・・・と解釈した次第です。大阪池田市綾羽町 の大広寺は天巌宗越の開山であり また 吹田市高浜町(摂津)の護国寺開山も師匠の大徹禅師を勧請開山とし竺山自ら 二代に座り 竺山得仙(遷)も當寺開山 大徹宗令禅師の弟子であり大徹禅師亡き後當寺の二世住職です。昔は当山の門葉寺院大徹禅師の傘下であったでしょうが当山も大広寺も護国寺も本山御直末の寺院であります。富山県内に末寺がいくつかありますが、その中で祇樹寺の開山が大広寺と同じ天巌宗越ですし 善導寺開山も護国寺開山竺山得仙禅師であります。当寺の立川(リュウセン)の「川」は常願寺川の難工事を成就せしめるために毎年の氾濫を鎮めるために祈祷を命じられたというので 「川」の字がついておるそうです。

『川邉郡誌』
大昌寺笹部村にある名刹にて今曹洞宗に属し大廣寺末なるも、古く寶徳二年塩川伯耆守の創剏に係り山号を鶴林山と称し多田庄内三十三ヶ所の第十九番たりしなり。今寺記及び古書に據り其の沿革を窺ふに創立は秀仲にして開基は良專禅師とあり、後ち戦乱の為め荒廃に帰せんとせるを秀仲八世の孫伯耆守国満堂宇を一新せるも国満の嫡男長満の歿後再び衰微せしも寛永初年積翁禅師に依り復興せりといふ。


御本尊

釈迦牟尼仏   左脇仏:地蔵尊  右脇仏:金銅救世観音

金銅救世観音の尊像

境内西手の観音堂は鉱山師観音として信仰を受けていた。山下銅吹時代は大繁盛して、遠く山師は参詣した。

『摂陽群談』
同郡篠部村にあり。山号鶴林山、開山良專禅師、寶徳二庚午年、源満仲公の苗孫、伯耆守秀仲公の草創也、本尊は、恵心僧都彫刻の釈迦佛、並びに弘法大師手造の地蔵尊、當山の民家に於いて、寄付の観世音を、左右に安置す、此地蔵尊は、中頃民家に在って、夜々光明を懼れて、再び當寺に移す、霊験今も新にして、御長一尺二寸の尊容也。観音寄付の由来は、中頃矢代氏之人あり、當所の銀山に登り、金銅救世観音の尊像、御長一尺二寸ばかりにして、巌上に立玉へめを見て、恭敬合掌し、暫く眼を閉て、観念の窓を開けば、忽ち失玉ひぬ、因って其巌底を掘て、金の絃筋を得て、財寶家に充て、五家に栄り、是皆菩薩の冥助也と、菩提心を発し、剃髪して得岸淨金と法号して、尊容を寫造せり、夫より以来、土俗山師の観音と称し、下財家業の輩、福徳を祈る処、多田庄三十三所第十九番也。


アクセス
 良專禅師像

水子地蔵
 




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